ありがとうの詩〜3.11に寄せて
この作品に出会った最初は、涙を禁じえなかった
震災の年の暮れに、宮城県の河北新報社主催の詩のコンクールの審査をさせていただいた。被災した方々から詩を寄せてもらうという内容であった。まだ震災のさなかといっていい時期に四百点を超える作品が集まった。一度も詩を書いたことのない方々の応募が多かった。家族や家を失った方々の切実な作品が数多く集まり、選ぶ立場の私自身が何かを問われているような気持ちになって読み進めていた。
この作品に出会った最初は、涙を禁じえなかった。震災後は気仙沼の避難所にいて、ボランティアや支援者の方々の厚意や、全国からの救援物資などにとても助けられた。素直に感謝の気持ちを伝えたいと思い、この作品は書かれた。初めての詩作だった。「ありがとう」という言葉が繰り返されていて、実にたくさんの謝意が伝わってくる。そして最後のそれだけは全く違う響きでこちらに届けられる。
これを読みながら、いくつかが心の中をめぐった。これは相馬の避難所に支援に行った友人から聞いた話だ。朝になると施設の事務室にいつも、波にさらわれたご主人のことをたずねにやって来るご年配の女性があったという。顔を出していつも一言。「じいちゃん 見つかったかい」。依然として行方不明のままの状態。「まだ見つからないよ」と答えると「そうかい」と呟き、自分の場所へと戻っていく。
ある未明に夫と見受けられる男性のご遺体が、海辺にて発見された。朝早くにそのことを静かに告げると、女性は目を丸くしてそれを受け止めて、その後にぽつりとこう言ったそうである。「これで、やっと寂しくなることが出来るねえ」。私はそれを聞いて、発見されて家族の元へ戻ってくることがなければ、寂しくなることすら出来ないんだなあと実感した。しかし歳月が経っても今だに見つかっていない方が数多くある。
支援に出かけた別の知人がこんなふうに話してくれたことがある。皆が目覚める前の早朝に、静かに海辺を歩いていた。津波を受けた後の、家や舟や車や家財道具など様々なものがばらばらにある風景を見つめる男性を見かけた。漁師さんのような風貌のがっちりとした方だった。げんこつでごしごしと涙をぬぐっていた。立派な男の人があんなに悲しむ姿を見たのは初めてだった。そう言いながら彼も涙を流した。私も流れてしまった。